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| 足の指、手術lうぅーっ! |
今日、いきなり手術してきました。
実は元々足の指爪が巻き爪だったのだが2・3日前からなぜか左足親指が異常に腫れて 今日は歩くのもつらかったので、夕方近所の皮膚科で診て貰ったところ、 これは手術ですね、とあっさり言われ、 心の準備もないまま手術台に寝かされてしまったわけです。
まず、麻酔用の注射を7・8ヶ所、左足親指の先にブスブス刺すのだが 特に爪の下の皮が薄いところに針を刺されたときには ホント、涙目。 歯を食いしばってこらえたが、やはり痛いものは痛い。 しばらくして麻酔が効いた頃を見計らってから、 巻き爪部分と腫れた皮膚ををメスで削除する手術。 生爪をはがされるようなものだが、麻酔が効いてきたので ザクッザクッという鋏とメスの音のわりには痛みは感じない。 だが、根っこの部分を切られたときにはびっくりするような痛みが走った。
私、こらえきれず「オオオオーッ、イテテテッ!」 医師、冷静に「大丈夫、もう少しの辛抱です」
麻酔の女神は、不純で酒飲みの私には微笑んでくれなかったようだった。 守護神バッコスの神はどこかで高みの見物だろう。 彷徨える守護神よ。
あと2週間後に迫ったマラソン大会までには何とか完治して間に合わせたい。
手術後、郡山美術館ワークショップと本番用の例の布地を買いに生地屋へ。 例のアレ用(何用かは極秘)に使うのだが、なにせ50人分+20人分用で15・6メーター。 買ったはいいが、縫う作業のことまでは考えていなかった。 郡山美術館のKくんと今日、朝から情宣にまわった熱気が冷めやらぬまま 自然とからだが動いてしまった。 突然だが業務連絡。 Kくん、相談に乗ってくれ。
というわけで、今日は会社を休んで一日情宣。 まずは福島TUFというTV局で、寺山展のCMのためのナレーション録り。
「どんな鳥でも、想像力より高く飛ぶことはできないだろう。 時代を駆け抜けた巨人 寺山修司の劇場美術館 郡山市立美術館で開催」
シーザーの音楽に乗って私の声が流れます。 福島の皆さん、聞き覚えのある訛り声が聞こえたら私だと思って下さい。
そのあと、福島では有力な地方新聞社、福島民友と福島民報へ廻る。 民友では、寺山さんのファンだという記者に精力的な取材を受ける。 寺山展の記事とは別に、私の特集も組んでくれるらしい。 偉大なり、寺山さんの影響力。
今回のこの寺山展に参加することになってから いろいろな初対面の人と話をする機会ができたが 思いもよらぬところで今も変わらず寺山さんが深く息づいていることを今更ながらに実感する。
さて、台本第一稿も仕上げ、小道具関係も着々と準備を整えつつある。 ワークショップ市民参加者と本番の観客を待ち受ける体勢は盛り上がりってきた。 どうか皆さん、ぜひとものご来場、ご参加をお待ちしています。 東京の皆様には遠方ですが、安い高速バスもあります。 たしか片道2100円の運賃です。
さくら観光
ワークショップも万有引力公演「100万光年の彼方劇・劇的小道具序説」も 抽選制ではありますがどうぞふるってご応募下さい。
郡山市立美術館
偶然性を組織する力、偶然性を信じる行動力、その力を試して下さい。
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| 根本豊のBeyond The Radio 番外編! |
8月14日(木)、久しぶりにFMポコのスタジオを訪ね、生放送やってきました。 13時ちょうど、なつかしのオープニング曲「恋に首ったけ」がながれ、 「根本豊のBeyond The Radio 番外編!」の第一声とともに番組は始まりました。 以前のコンビ、国分ディレクタがパーソナリティを務める番組「MY TOWN ポコランド」を ジャックする勢いで、どたまから飛ばし続け、勢い余って脱線することもたびたび。 ラストはいつものモップス「たどり着いたらいつも雨降り」でしめて あっという間の久々生放送も終了。 15分の枠でも、話したらなかったことがまだまだあって後悔しきり。
だが、寺山展と万有引力公演と市民参加ワークショップ告知の3本だけは きっちり伝えたつもりだが、聞いてたほうはどうなんだろうか。感想求む。 郡山美術館の電話番号だけは何回も連呼したので、記憶にとどまったかな。 024−956−2200 覚え方は、「Q五郎に200番、Q五郎に200番」 単なる言葉の響きだけですが、これを頭に入れて、 電話して問い合わせて下さい。
この日は、オルガンビトーの制作、T木さん親子と、N野さんがスタジオ観覧に来てくれていて 放送後、スタジオの待合室で、 次回オルガン公演,寺山修司作「ガリガリ博士の犯罪」の件について意見を交わす。 演出のケイさんからの要請で、わたしがこの公演の共同演出を務めることになってしまったのだ。 その台本のコピーを持ってきてくれたのだが、 いやぁ、この本ははっきりいって面白いのだが、舞台化が非常に困難な作品でもある。 台本のなかのエピソードはすべてこれまでの万有の舞台で使った物ばかりなのでおなじみだが、 まるまる一本を作品化するとなると・・・。
この作品は初演が1969年、渋谷の天井桟敷館地下劇場で、 舞台美術は、前衛芸術家・ハプニング美術家としても著名な高松次郎。 (赤瀬川原平らと前衛集団ハイレッドセンターを組織していたことでも知られている) わたしが入団する前に上演されたものであり その全貌はほとんど又聞きでしかない。
ただいえることは、舞台美術も含め、観客との関係性をきわめて構造的に作戦を立てて 仕組まなければならないということ。 安易に客は舞台と接しられないのだ。 つまり見えない演劇の路線に通ずる物で、観客操作が重要な課題となってくる。 また、ストーリー性を排した寺山さん独自の文体を、どうオルガン的世界に融合させるかも課題だ。 匂いと闇、遮断と解放、充分に練られた観客へのアプローチ手法が重要な鍵となるだろう。 郡山のあとは、また頭を悩ませる嬉しい日々が待っていることだけは間違いない。
今日は夕方から、先述のオルガンビトーの制作、T木さん夫婦とN野さんたちと 楽しい飲み会である。 我を忘れて酒に浸ろう。
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| 郡山美術館の新聞完成 |
情宣用の新聞が届きました。 私が書いた記事を、転載許可ということで、まんま転載します。 なお、FMポコの生出演は、 8月13日(水)は、10分しか枠がとれないので、 14日(木)の13時から15分枠での出演となりました。 いやぁ、話したいことが多すぎて・・。 番組名は「マイタウン ポコランド」です。 しっちゃかめっちゃか爆裂トーク!聞いて下さい。 まとまるかなぁ。
寺山修司と出会った頃 「へー劇団作ってたんですか?」 暗闇の向こうからTVで聞き覚えのある寺山修司の生声が私に問いかける。顔は見えない。
一九七五年一月、入団試験会場の渋谷天井桟敷館アトリエ、蝋燭を灯しただけの薄暗い地下室。 無頼を纏った黒マント姿の私。
当時私は大阪で劇団を主宰していたのだが、学生運動と宴会に熱心な集団で、 語るべき劇団史など持ち合わせてはいなかった。 数少ない上演レパートリーを頭の中で整理して身構えていると、ボソッと一言 「何でネクタイ締めてるの?」。 履歴書に貼ったリクルート用写真のことだった。 私は肩すかしを喰わされ、そして一ヶ月後合格通知が届いた。
答えのない「質問」は無限にあるのだ。 私はその日から「質問」探しの旅に出ることになった。
私が大阪でしょうもない芝居を作っていた頃、劇団日本維新派(現・維新派)の旗揚げ公演にひょんな事から立ち会う機会があった。 筋とは関係なく役者同士がマジで喧嘩を始める、花道に並んだ数人が着物の股を捌きバケツに放尿し、それをグルグル回したかと思うと一斉に頭から尿を被り台詞を叫ぶ 「命に代えたる男じゃもの!」。 タイトルである。ストーリーはハチャメチャだったが度肝を抜かれた。
天王寺の野音に赤テントが立った。状況劇場「唐版・風の又三郎」だった。 客入れ前の人集りの中、門柱の上で二人の役者が堂々とメイクをし、 劇中では大久保鷹が生きた鶏を絞め殺していた。 なぜかカッコよかった。
そして私は一路アングラを目指し、大久保鷹とキャラが被らない天井桟敷を受けることにしたのだった。
入団後、文芸演出部兼俳優として上演を間近に控えた三〇時間連続市街劇「ノック」の練習に突入。
尾行訓練、慈善を装った街頭募金、見知らぬ家に団員を一晩預ける偽里子訓練等々、この期間はまさにカルチャーショックの連続だった。
そして本番では全身包帯の男が団地のドアをノックし妊婦が流産しかかったとか、銭湯で俳優が台詞を叫びだし一一〇番通報があったとかで警察の介入も度々。
観客の見えないところでも劇は進行した。 書簡演劇では一ヶ月前からターゲットの会社員に、尾行した結果を(出社時刻・昼食メニュー・退社後の行動等子細に)毎日送り続け、 本番前日は、行動パターンから読み取った翌日の予定行動を時系列通りに事細かく書き付け、 前日の内に届くよう送りつけた。 当日その人は急に会社を休み昼から酒を飲んで、あげく自転車泥棒し捕まった。
この演劇は当時の社会面を賑わす事件だった。 開演から二九時間後、突然寺山さんがマスコミを公園に集め公演中止と官憲に対する抗議集会の開催を宣言。 私にとっては寝耳に水だったが、度重なる官憲介入に業を煮やした寺山さんの素早い行動だった。 ただラストまであと一時間に迫った我々現場の人間としては、最後までやり抜こうという意見が大勢を占め、最後のシーン「壁の消失」まで突っ走り三〇時間連続市街劇を遂行した。
数日後の劇団総会で寺山さんが「私の決断が聞き入れられなかったので、私は劇団を辞めさせてもらう」と言いだしたのには驚いた。 エッこの劇団から寺山さんが消える? 私は単純に、そんなことはあり得ないと思っていたのだが、 「それもやむなし」と考える団員が半数近くいたのにはもっと驚いた。 主宰者が消えても劇団は存続させ得るという団員たちの自負の現れであり、 天井桟敷のスタッフの層の厚さを垣間見る思いだった。 結局総合演出担当の幻一馬が、責任をとって退団という何かあっけない結末に落ち着いた。
その後私は、寺山さんの間近で演出助手や共同演出、助監督、俳優として長く関わることになるのだが、 今でもあのときの寺山さんの決断が正しかったのかどうか私は判断できないでいる。
「答えのない質問」。
ただこの市街劇、寺山修司との出会いが、私をさらなる演劇の地平へと導いている事だけは間違いない。
元・演劇実験室天井桟敷 根本豊
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| 同時進行中! |
三沢の寺山修司記念館での、三上博史とエミ・エレオノーラの朗読ライブの情報が ヤマちゃんから入る。 (前回の COMMENT(4) 参照)
三上博史は、以前僕のラヂオに出演してもらったときもそうだったが 意気に感じるタイプの男なので、 今回も記念館か寺山編陸さんからの要請を 常々寺山さんへの思いを秘めている彼としては 二つ返事で快諾したのは、自然な流れかも知れない。 好漢三上に乾杯。
さて昨日も走ってみた。 COMMENTにも書いたが、右ふとももの調子がおもわしくない。 両足の筋肉痛は今回それほどひどくないが 右足だけ、立ち上がるとき太もも内部に激痛が。 足の長さが違うのと、走りのバランスの問題だろう。 夕べ、首に巻いてるピップ磁気ネックレスを試しに右太ももに巻いて寝たら 今朝はだいぶ回復しているようだ。 あなどれんぞ、ピップの磁気力!
タイムは2分弱更新だったが、 もともと前回がぶっつけ走りで遅いタイムだったからまぁこんなもんだろう。
仕事の途中、本番のコースを車で通ったら ゴール前、2キロぐらいだらだら上り坂が続き、 1キロ前からは斜度もぐぐっと上がってくるやるせないコースだよ。オイオイ。 3.5キロ過ぎからバテがくるオレとしては、試練のゴール前だべした。 まいったなや。 「生ビール・命」なんて鉢巻き締めて頑張るとするか。
郡山美術館の私の担当するシーン、台本書きと選曲に入る。 曲はシーザーの曲を中心に客入れからファーストシーンまでほぼ決める。 台本は、チビ根本の登場までを書き上げる。 そうなんです、ご存じの方はなつかしいでしょう、 あの村田弘美くんの「チビ根本」が6年ぶりに郡山で復活します。 私との丁々発止のやりとりを、乞うご期待。
小道具は数不足ながら18個ほど例の物をCAN DOで購入。 別な店も回ったが製造中止、在庫なし、郡山店にはあるかも、ということで 美術館のKくん、郡山のCAN DOを当たってみて。(業務連絡かい)
といろんなことが、この蒸し暑い中同時進行中。 あ、そうだ、FMポコに8月13日(水)昼12時40分から生出演します。 以前コンビだった国分Dが、今DJ番組をもっているので その彼女の番組に寺山展宣伝のため出させて貰うことを快諾頂きました。 福島エリアのみなさん、私の久方ぶりの放言、是非聞いてください。
♪走る 走る 僕たち んだんだんだ んんん(歌詞が思い出せん)♪(by爆風スランプ)
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| またまたやっちまったぁの巻 |
前回は、「限定」という言葉に弱い、ということについてふれたが もう一つ、気持ちがあおられらる言葉があった。 それは「締め切り」である。
ついおとといも、「締め切り」の文字を見て、やっちまったぁ、の出来事があった。
7月29日夜、PCで あるサイトを見てたら「7月30日締め切り」の文字発見。 「あしたじゃん。」
あるサイトとは「RUNNET」というマラソン系のサイト。 勤務先に、Yさんという温厚でマラソン大好きの人がいるのだが 昼、車に同乗中近々のマラソン大会の話を聞いていて、 ちょっと覗いてみただけなのに、その「エントリー締め切り」の文字を見て 心が騒いでしまったのだ。 「50歳代・5キロ」 深く考えもせず、「エントリー」クリック!
大会名は「第48回伊達ももの里マラソン」 期日は8月31日(日) 今月末だ。
実はラジオの番組やってた頃、前述のYさんの話をしたことがあって 長く走り続ける秘訣は、なにはともあれまずエントリーをしてしまうことだ という話を紹介したことがあったのだ。 それも頭の隅にあったのだろう。
30日にセブンイレブンでエントリー料3200円也を振り込んで、 その足でランニングシューズを買いに。 31日には、仕事後そのナイキのシューズを履いていきなり5キロを走ってみた。 いやぁ、なめてかかったらバテたバテた、3キロ過ぎたころには「なにこれ?なんで?」状態。 あけて今朝は足パンパン。
以前は、そんなに好きでもないのに体力作りの為やむなくという感じで ちょこちょこ走ってはいたのだが、9年前膝に水がたまって入院したのを機に これ幸いとぴたりとやめて、それ以来の走りだ。 大会まであと一ヶ月、練習は続くんだろうか。 芝居の台本や構成もやんなくちゃなのに、こんなことやってていいんだろうか。
だが思わずエントリーしたのには思い当たることがあった。 50才の誕生日の頃、なにかイベントをと思い、 バンジージャンプを3日連続で飛んだことがあった。
今回も8月23日は私の58才の誕生日、 心のどこかで、イベントをやらかそうという邪心?でもあったのだろう。
あぁ、暑いだろうな、8月31日は。 とりあえず何も考えんと、走ることにするベ。
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