旅の途中−ブログ篇−
                  「根本豊の Beyond The Radio」
第一回目、やっと終わっただぁー!!
2006年 10月 29日 (日) 17:04 | 編集
きのう第一回目の放送がオンエアーされました。
わたしは残念ながら仕事中で、生で聞くことはできませんでしたが
局のかたにCDに焼いて貰ったのを家で聞きました。
もちろん酒を飲みながら・・・。
とてもしらふでは聞けません。

で、
あせっていて、なにを喋っているのか、なにを喋りたいのか
意味不明なところが多々あって、ホント冷や汗たらたら・・

総体的には、「まぁこんなもんか。」
といったところでしたが
みなさんはいかがだったでしょうか。

ゲストのMこと三上博史クンには、突然のリクエストを快諾して貰い
ホントに感謝感謝。

放送でも喋ったけど、三上の目指す方向など
もっともっと語り合いたかったのは事実でした。

ラヂオの時間の限界性と無限性をこれから模索してかなきゃぁ。

といった課題を胸にかかえつつ、
第ニ回目用の素材集めにかかっています。

あと、放送中に詳しく紹介しきれなかった
チャーマーハイヂ&デリシャスウィートスのイベントと、
高野美由紀の芝居の詳細を下にリンクしましたので
ご参照いただければ幸いです。

デリシャスウィートス
劇団☆A・P・B-Tokyo

ではみなさん、2回目もヨロシク。
お便り&リクエスト待ってます。
本日放送日でーす。
2006年 10月 28日 (土) 10:17 | 編集
今日はいよいよ第一回目の放送日です。
PCにくわしいかたが戻ってきたので、録音風景の写真をアップしました。
こんな感じで一見楽しそうにやってるように見えますが、
第一回目の録音は、あっぷあっぷでした。
聞けば分かると思いますが・・・
0610200001.jpg

ついでに秋田旅行の写真です。
一枚目は「払田柵」。
その筋では有名なところらしいです。
0610220044.jpg

二枚目は「小安峡」。
間欠泉が吹き上がって、迫力あります。
ただここへ行くまで、六〇メートルくらい階段と坂道を下りていくので
二日酔いの身にはきつかった。帰りが・・・
0610220048.jpg

さて、今日の放送は聞いていただけたでしょうか。
いやぁ〜〜〜〜〜まいったまいった。
二回目はもうチョッと頑張るマンズ。

風邪で半日休みー
2006年 10月 25日 (水) 12:17 | 編集
きのう、昼間の仕事の運転で思わぬトラブル発生。

小雨の降る中、ぬかるむ畑の中に車を止め、測量を20分位して戻ると
タイヤが10センチぐらい畑に沈んでいる。

4WDだからと高をくくってエンジンを吹かすと、
車は動くどころか、前後輪とも空回りしてみるみる沈み始め、
もはやボデーの底は、畑の泥々とぬめぬめのディープキス状態。

タイヤの下を掘ったり、砂利を入れたり段ボールを敷いたり、その他もろもろ
思いつく限りの悪あがきをしたが、1.5トンの鉄のかたまりは、
でーんと居座ったまま知らんぷり、ていうか嘲笑うようにびくとも動かん。

1時間後、応援部隊の若衆5人到着。
「レスキューキット」なる物を取り出し
ロープをくくりつけて応援車で引っ張るも、
ロープはぶっちんと切れてしまう。
なにがレスキューキットだっつうの。

近くのスタンドに走り、
電話連絡でワイヤーロープを積んだトレーラーに戻って貰い
ワイヤーを借りてつないでやっとこさっとこ引き上げ成功!

この間約2時間半。
きのうは12月上旬並みの気温10度前後。
その間雨に濡れながらの虚しい作業。
しかも途中からはどんどん雨足も強くなってくるし・・・。

というわけで今日はお約束の風邪っぴき。
半日休んで午後から出社予定。

ながながグチにおつきあいいただきありがとう。

秋田旅行は快適でした。
ラヂオ録音の様子と、秋田ほろ酔い旅行の写真などは
くわしいかたが戻って来しだいアップします。

それでは3日後の放送お楽しみに。
いよいよ本番
2006年 10月 20日 (金) 07:44 | 編集
今日はいよいよ本番の収録である。
夕方7時からの予定。

初回だけは、全編録音にして、
次回から生で行こうというということになっていたのだ。

久しぶりに、演劇やってたころの初日を迎える朝の気分を味わっている。
(今、朝の出勤前)

今日の本業の仕事はサーッとこなして、
夕方から気分を本番体制に持って行こう。

ワクワクワク。
いよいよ気分が盛り上がってきたぞー。

明日からは、本業の方の職場旅行会で一泊二日の秋田旅行。

旅行で旨い酒を飲むためにも?
今日の本番がんばるぞーっ、と。
ラヂオ、ゲストコーナーのみプチ収録終わる。
2006年 10月 14日 (土) 07:56 | 編集
話をしてると、時間の感覚がこれほどなくなるとは思わなかった・・。
昨日、ゲストと電話をつないでのラヂオのプチ収録を終え、
スタジオを出て最初に頭に浮かんだのがコレだった。

ゲストMが話を広げてくれたこともその一因だろうが、
自分としては、まだまだ聞きたいことを抱えていて、
少しかじり足りない気分。

ゲストMの今後の活動や、Mがこれから何処に行こうとしているのか、
その「何処」にねらいをさだめたかったのだが・・・・。

自分の中では少々食い足りない気分なのだが、
ラヂオを聞いている側では、そのぐらいが丁度だったりして、

その辺のさじ加減がやっぱり難しい。

というわけで、予定の倍、時間オーバーし、収録終了。
濃い中身の、初回ゲストとのトークをお楽しみに。
サンキュー!ハイヂ
2006年 10月 07日 (土) 05:10 | 編集
今日、ラヂオのオープニングに使おうと思っている曲のCDが届きました。
送り主は、この曲を唄っている、チャーマァ・ハイヂ。コケティッシュパフォーマンス集団、「デリシャスウィートス」の主宰兼ヴォーカル。友人です。
電話で「つかいたいんだけど」とたずねたら、即快諾。早速届けてくれました。ありがたきかな友よ。
曲名は「恋にくびったけ」。昔懐かしGS、ブルコメのカバーで
メチャ のりのいい曲です。

この曲のイントロでオープニング、というところまでは決まりました。はい。
あとは電話で登場してくれる友人とか、情報を紹介してくれる演劇関係の記者とか色々コンタクト中。
ナチュラルアーティスト、シミジーからは友達の詩人を紹介するから、というメッセージも届き、このブログを立ち上げたお陰で、思わぬ広がりが見えてきました。 
楽しみだー。 0610060006.jpg
月いちでラヂオやります
2006年 10月 02日 (月) 16:00 | 編集
福島の地元ラヂオ、FMポコで毎月一回、第4土曜日の昼12時半から1時迄30分間、
パーソナリティをやります。第一回目は10月28日です。
タイトルは POCO EGG。副タイトルは「根本豊のBeyond The Radio」
だいよん土曜日の放送ということで び・よん・ど 。
深い意味はありませんが、ラヂオの向こう側について、考え喋って行ければと思っているところ。
でも今のところどんな番組にするのか、なるのか皆目見当が付きません。
書き込みがあれば自分の独断と偏見で紹介していこうかなと。
あとは自分の今までの交友関係から、毎回サプライズゲストに電話で登場してもらうとか、
演劇情報を喋ってもらうとか、色々流動的に考えていこうと思っています。
まずは第一回目を乞うご期待!!

一期は夢よ、ただ狂え(閑吟集より)―根本豊の徒花的個人劇史―
2006年 10月 01日 (日) 10:13 | 編集
1950年福島県伊達郡に生まれる。
   先祖は伊達政宗の「謡い」の師匠で、
   後に政宗公との意見の相違により割腹自死(との噂)。

1956年―1965年(6歳‐15歳)町立松川小学校入学。
   のち中学校も含め数回転校。各校で生徒会長などを務むるも、
   閉鎖的村社会を嘗めた言動が目に余り顰蹙を買い続ける。

1966年(16歳)県立福島高校入学。
   某宗教福島支部学生部長としていいかげんな日々を送る。

1967年(17歳)酒・女・クスリ・ケンカ等で度々の補導を受け、
   福高開学以来初の退学処分。

1968年(18歳)会津若松の高校に転校を許されるも殆ど登校せず、
   暴力団組事務所に寝泊まりを続け、裏社会勉強の日々を送る。

1970年(20歳)大阪芸大映像計画学科入学。
   某セクトに所属するも、大学封鎖を機に見切りをつけ
  「劇団群」を主宰。演劇活動はほぼせず、大学当局側への
   圧力団体としての活動を主なテーマとする。この間公務執行妨害、
   暴行などで数度の拘留処分。前科あり。

1975年(25歳)大学中退し演劇実験室◎天井桟敷入団。
   生涯の師寺山修司と出会う。J・A・シーザー、サルバドール・タリら、
   自分の人生に於いて出会ったこともない人たちの集団に
   カルチャーショックを受ける。
   杉並区阿佐谷一帯での三〇時間連続市街劇「ノック」
   で演出助手兼俳優。
   この市街劇は新聞の社会面を大いに賑わす大スキャンダル劇となり、
   自分の劇に対する価値軸を狂わせる永遠の指標となる。

1976年(26歳)桟敷アトリエ公演「孤独な散歩者の夢想」を作演出。
   演劇と映像の融合と自負したが、
   寺山さんの実験映画「ローラ」を後に知り、愕然。

1978年(28歳)「シモの話」(桟敷アトリエ)作演出。桟敷が名古屋の祭りに招聘され、
   テキ屋組事務所に一人先乗り派遣。本体到着まで、
   借り受けた組の若衆らと共に手配・仕込みに奔走。後日、
   なぜか組長より契りの盃、ドスを頂く流れが出来つつあり、
   慌てて寸前で固辞。「奴婢訓」晴海初演。

1980年(30歳)ジァンジァン版「観客席」を寺山さんと共同演出。
   寺山監督ハードコア映画「上海異人娼館」では、助監督参加だったが、
   代役で、一般映画では初の、外人女優とのノーカットファックシーンを熱演。

1981年(31歳)「残酷喜劇―さらば映画よ」(桟敷アトリエ)、ジァンジァン公演「新観客席」
   を寺山さんと共同演出。この間も、故・相米慎二、平山秀幸らと
   寺山監督映画の助監督を務める。

1983年(33歳)青天の霹靂、寺山修司の死。天井桟敷解散。万有引力結成。
   文芸座ル・ピリエに於いて「シナの皇帝」旗揚げ公演。

1984年(34歳)「ワークショップ・冬の時限装置」(文芸座ル・ピリエ)より
   シーザーとの共同作演出始まる。

1986年(36歳)シーザーとの共作「SUNA・砂漠の動物園」が
   英國エジンバラ演劇祭に於いてフリンジファースト賞受賞。

1991年(41歳)実験公演「影の断層」(田端・ディープラッツ)作演出。

1997年(47歳)パルテノン多摩「100年気球メトロポリス」で数パートを演出。

1998年(48歳)寺山修司享年を迎え、
   オマージュ「五月の鷹―北は南の反対ではない」(下北沢・劇小劇場)作演出。
  「一日だけの天井桟敷『人力飛行機ソロモン・青森篇」パート演出。
   担当部門の女性市民スタッフが青森県警に捕まる。
   県警に出頭し、スタッフを保護貰い受け手続き。のち生涯の保護者?となる。

1999年(49歳)パルテノン多摩「100年気球ラビュリントス」で数パートを演出。

2001年(51歳)紀伊国屋サザンシアター公演「観客席・2001年改訂版」共同演出。
   寺山「ローラ」への質問として、実験公演「ローラ?
   地球をしばらく止めてくれぼくはゆっくり映画が見たい」(浅草橋・アドリブ小劇場)作演出。

2002年(52歳)元ジァンジァン大村氏の要請により、「瑕疵かしら」(西荻・Wenzスタジオ)
   で初の外部出演。

2003年(53歳)万有引力創立20周年
  「劇場を運ぶ100人の俳優たち」(西荻・Wenzスタジオ)共同作演出。
   阪神タイガース18年振りのリーグ優勝。
   誕生した我が第一子に「タイガ(大雅)」と名付ける。
   12月新国立劇場「奴婢訓」出演。
   25年間同じ役を演り続け、28歳から53歳への変遷を我が身に問う。
   我が実家の雲行きが怪しくなりシーザーに今後の指針を仰ぎ、
  「奴婢訓」をもって長期休団の判断。
   演劇人生の最終公演は外部出演初ミュージカルとなる、
   謝珠栄演出「タン・ビエットの唄」(世田谷・パブリックシアター他)

2023年(タイガ20歳)私は…?

【時がくると、私の人生にはピリオドが打たれる。
だが、父親になれた男の死はピリオドではなく、コンマなのだ。
コンマは休止符であり、また次のセンテンスへとひきつがれてゆくことになる。】
「父親になれざりしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ」(墓場まで何マイル?)
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