2001年
03月
01日
(木)
18:57 |
編集
旗揚げ後第二弾は「ドゥーブルの起源」('84・3.2~18、田中浩司作、J・A・シーザー演出)いよいよアトリエ柿落としである。
梶井基次郎の「Kの昇天」に想を得たこの作品は、
当時の時代の心象=自分の影にとらわれた人間達〈私〉探しの物語が描かれた。
入り口のコンクリート床を打ち直し、トイレの壁やオペルーム、客席用長椅子も新調して、観客を迎える劇場としての佇まいも整え、
舞台の建て込みも一ケ月前には完成。
本番と同じ舞台で一ケ月も稽古ができるのはこの上ない喜びであると同時に作品の完成度にとっても重要なことである。
先日新国立劇場の下見に行ったのだが、劇場側の企画公演になると本舞台での一ヶ月近くの建て込み稽古が可能らしい。
やはり新国ならではの贅沢さと感心したが、そうそう感心ばかりもしていられない。元はと言えば我々の税金。
殆どの劇団がそういう環境で公演が出来ない方がおかしいのだ。
そういう意味では、諸外国、特にヨーロッパの演劇事情は恵まれているとつくづく思う。予算面でも稽古環境の面でも。
歴史が違うと言えばそれまでだが、何より演劇文化が日常に根付いている。
観劇習慣が日常の時間にさりげなく組み込まれていることを考えると、今更ながら彼我の差を感じてしまうのはやはり僻みだろうか。
何はともあれ、そういったわけで柿落とし公演は付近の住民をも巻き込み、下町森下にしっかりと根を下ろした、温かく受け入れられたと思った…、のだが…。 (続く)
根本 豊
梶井基次郎の「Kの昇天」に想を得たこの作品は、
当時の時代の心象=自分の影にとらわれた人間達〈私〉探しの物語が描かれた。
入り口のコンクリート床を打ち直し、トイレの壁やオペルーム、客席用長椅子も新調して、観客を迎える劇場としての佇まいも整え、
舞台の建て込みも一ケ月前には完成。
本番と同じ舞台で一ケ月も稽古ができるのはこの上ない喜びであると同時に作品の完成度にとっても重要なことである。
先日新国立劇場の下見に行ったのだが、劇場側の企画公演になると本舞台での一ヶ月近くの建て込み稽古が可能らしい。
やはり新国ならではの贅沢さと感心したが、そうそう感心ばかりもしていられない。元はと言えば我々の税金。
殆どの劇団がそういう環境で公演が出来ない方がおかしいのだ。
そういう意味では、諸外国、特にヨーロッパの演劇事情は恵まれているとつくづく思う。予算面でも稽古環境の面でも。
歴史が違うと言えばそれまでだが、何より演劇文化が日常に根付いている。
観劇習慣が日常の時間にさりげなく組み込まれていることを考えると、今更ながら彼我の差を感じてしまうのはやはり僻みだろうか。
何はともあれ、そういったわけで柿落とし公演は付近の住民をも巻き込み、下町森下にしっかりと根を下ろした、温かく受け入れられたと思った…、のだが…。 (続く)
根本 豊
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