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| 郡山美術館の新聞完成 |
情宣用の新聞が届きました。 私が書いた記事を、転載許可ということで、まんま転載します。 なお、FMポコの生出演は、 8月13日(水)は、10分しか枠がとれないので、 14日(木)の13時から15分枠での出演となりました。 いやぁ、話したいことが多すぎて・・。 番組名は「マイタウン ポコランド」です。 しっちゃかめっちゃか爆裂トーク!聞いて下さい。 まとまるかなぁ。
寺山修司と出会った頃 「へー劇団作ってたんですか?」 暗闇の向こうからTVで聞き覚えのある寺山修司の生声が私に問いかける。顔は見えない。
一九七五年一月、入団試験会場の渋谷天井桟敷館アトリエ、蝋燭を灯しただけの薄暗い地下室。 無頼を纏った黒マント姿の私。
当時私は大阪で劇団を主宰していたのだが、学生運動と宴会に熱心な集団で、 語るべき劇団史など持ち合わせてはいなかった。 数少ない上演レパートリーを頭の中で整理して身構えていると、ボソッと一言 「何でネクタイ締めてるの?」。 履歴書に貼ったリクルート用写真のことだった。 私は肩すかしを喰わされ、そして一ヶ月後合格通知が届いた。
答えのない「質問」は無限にあるのだ。 私はその日から「質問」探しの旅に出ることになった。
私が大阪でしょうもない芝居を作っていた頃、劇団日本維新派(現・維新派)の旗揚げ公演にひょんな事から立ち会う機会があった。 筋とは関係なく役者同士がマジで喧嘩を始める、花道に並んだ数人が着物の股を捌きバケツに放尿し、それをグルグル回したかと思うと一斉に頭から尿を被り台詞を叫ぶ 「命に代えたる男じゃもの!」。 タイトルである。ストーリーはハチャメチャだったが度肝を抜かれた。
天王寺の野音に赤テントが立った。状況劇場「唐版・風の又三郎」だった。 客入れ前の人集りの中、門柱の上で二人の役者が堂々とメイクをし、 劇中では大久保鷹が生きた鶏を絞め殺していた。 なぜかカッコよかった。
そして私は一路アングラを目指し、大久保鷹とキャラが被らない天井桟敷を受けることにしたのだった。
入団後、文芸演出部兼俳優として上演を間近に控えた三〇時間連続市街劇「ノック」の練習に突入。
尾行訓練、慈善を装った街頭募金、見知らぬ家に団員を一晩預ける偽里子訓練等々、この期間はまさにカルチャーショックの連続だった。
そして本番では全身包帯の男が団地のドアをノックし妊婦が流産しかかったとか、銭湯で俳優が台詞を叫びだし一一〇番通報があったとかで警察の介入も度々。
観客の見えないところでも劇は進行した。 書簡演劇では一ヶ月前からターゲットの会社員に、尾行した結果を(出社時刻・昼食メニュー・退社後の行動等子細に)毎日送り続け、 本番前日は、行動パターンから読み取った翌日の予定行動を時系列通りに事細かく書き付け、 前日の内に届くよう送りつけた。 当日その人は急に会社を休み昼から酒を飲んで、あげく自転車泥棒し捕まった。
この演劇は当時の社会面を賑わす事件だった。 開演から二九時間後、突然寺山さんがマスコミを公園に集め公演中止と官憲に対する抗議集会の開催を宣言。 私にとっては寝耳に水だったが、度重なる官憲介入に業を煮やした寺山さんの素早い行動だった。 ただラストまであと一時間に迫った我々現場の人間としては、最後までやり抜こうという意見が大勢を占め、最後のシーン「壁の消失」まで突っ走り三〇時間連続市街劇を遂行した。
数日後の劇団総会で寺山さんが「私の決断が聞き入れられなかったので、私は劇団を辞めさせてもらう」と言いだしたのには驚いた。 エッこの劇団から寺山さんが消える? 私は単純に、そんなことはあり得ないと思っていたのだが、 「それもやむなし」と考える団員が半数近くいたのにはもっと驚いた。 主宰者が消えても劇団は存続させ得るという団員たちの自負の現れであり、 天井桟敷のスタッフの層の厚さを垣間見る思いだった。 結局総合演出担当の幻一馬が、責任をとって退団という何かあっけない結末に落ち着いた。
その後私は、寺山さんの間近で演出助手や共同演出、助監督、俳優として長く関わることになるのだが、 今でもあのときの寺山さんの決断が正しかったのかどうか私は判断できないでいる。
「答えのない質問」。
ただこの市街劇、寺山修司との出会いが、私をさらなる演劇の地平へと導いている事だけは間違いない。
元・演劇実験室天井桟敷 根本豊
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| 郡山市立美術館,再び夢膨らむ! |
行ってきました、郡山美術館。 ロケーションは最高だったね。 郡山市街から一寸離れた高台の 森に囲まれた近代的な異空間の建物。 それぞれのブースも それなりに触発されるところが多数あった。 私が担当するワークショップの現場となる多目的スタジオも 広さも充分、完全暗転も美術館のK君がかねてからの約束どおり 努力してくれるようだ。 約1時間ほど美術館の担当者たちと館内外を下見し、 あれもできる、これもしたいなぁ、と演劇的創造力を刺激される。
軽く下見も終えた頃、東京からシーザーはじめ万有の面々が到着。 2tトラックと乗用車に分乗しての第一次搬入である。 荷物も下ろし終えたあと,シーザーたちと改めて敷地内を隅から隅まで見て回る。 いろいろなアイデアを飛ばしあい,移動しつつ, 芝居の構想をひねり出しながらシーザーと歩いていると, 過ぎし日々,芝居づくりに明け暮れた日常がまざまざと蘇ってくる。
さて今回の公演だが,想像以上の大規模な構成になりそうだ。 わたしと市民参加者たちの比重もかなりありそうで うれしい悩みとともに,素案を再構築することにする。
なにはともあれ,郡山の観客は きっと度肝を抜かれることになるだろう。 期待して続報を待たれよ。
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| 幻探偵、明日のための・・・・そうかぁ、明日はなかった。 |
ついに終わってしまった。 幻探偵、 この虚脱感。 打ち上げは次の日の夜まで延々飲み続け。 おなじみ「Kくんを飲ませる会」もギンギンと全快で、 何回血反吐の海を泳いでもらった事やら。 わたしもさすがに最後の方は記憶朦朧。 火曜の昼、つまり2日間飲み続けたあげくさっき帰って参りました。
よめさんも少々ご機嫌斜め気味。 早く社会復帰して、何とか挽回せねば・・・ とは思うものの、頭のシンがまだガンガン鳴り響いており 回復は明日の昼ぐらいまでかかりそう。 オレも弱くなったのかなぁ。
東京も今日は雨だったが、福島もしのつく雨が降り続いており しかも温度が5度は違うのではというぐらい寒い。
そのうちじっくり幻探偵の総括をしようと思うが、まだ無理だなぁ。
オルガンヴィトー関係者の皆様、本当にありがとうございました。 井内、ムラリン、本当にありがとう。
そして見に来ていただいた観客の皆様、 根本豊の今をごらん頂けたでしょうか。
バッコスの神と演劇の神は健在だったようです。 捲土重来、できることならまた近いうち舞台に立とうと思っています。
あぁそうか、郡山が待ってたんだ。 まずは9月10月の郡山美術館でお目にかかりましょう。
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| 幻探偵,明日のためのその三,麻薬は媚薬・・って何が言いたいんだぁ! |
23日の本番を見に来たパルテノン多摩のOさんから 昨夜TELあり。 「面白かったから演劇担当者にも見せたいので 何とかならないか。」 通常ならうれしい話なのだがなにせ全て完売,なんともならない。 制作のTさんに話をすると,びしょぬれ覚悟,苦しい姿勢での立ち見覚悟 当日入れないかも知れないというキャンセル待ち覚悟の 三重覚悟を確認の上でなら,ということでその旨Oさんに連絡。 オルガンヴィトーは今までにも 同じ開催中での客のリターン率が 圧倒的に多いのだとか。 つまり一回見て数日後に同じ芝居をどうしても もう一回見たくなってしまうということ。 つまり,つまり? オルガンは麻薬かぁ。 ワタシにもいつか禁断症状があらわれるのであろうか。
この第三ラウンドはその辺の医学的見地からも検証してみよう。
さて郡山での市民参加ワークショップだが, いまふと「噂」をモチーフにした公演でも企画してみようかなと思いついてしまった。 今回の「幻探偵」も噂を呼んでいるようだし, 噂,口コミ,風聞,わりと市街劇的ネタでもあるのだ。 かつて桟敷公演「レミング」でも「噂のフォークロア」というシーンがあった。 明日からの第三初日へ向けて気持ちは東京へ飛んでいるが, 頭の片隅では久方ぶりの企画演出公演になる郡山のことも離れないでいる。
そうか,麻薬とはやはり演劇それ自体のことだ。 じゃぁ,ワタシはりっぱな中毒者だった。
と,ここまでのところは伝わっているでしょうか。 なにか支離滅裂な文章になっていると思います。 実は会社の人に 「ブログの更新がなかなか難しい」 といったら 「今日は書くことがないのでやめます,とだけ書いといてもいいんじゃない。」 といわれたので,そのまま書こうとしたら, ついついいつものダラダラ文になってしまった。
「今日のところは,こんなところで勘弁してやる。」 関西お笑いのつっこみを無理矢理入れて,しめます。 第三ラウンド,さぁ飲むぞーーーーーーーーーっ!!!!!
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| 幻探偵,明日のためのその二,強精剤には気をつけろ! |
さてさて,幻探偵第二週も無事終了しへろへろ状態で帰福。 第一週目とちがい,二週目はさすがに目に見えない蓄積疲労が じわじわと蝕んできたようだ。 そんなときの対抗策がワタシには昔からあったのだ。 いわゆる強精剤の瞬間的大量服用・・? なんのことはない,オヤジの元気づけドリンクのようなもんで, 何でもいいから値段も風評も関係なく, 精の付くと思われる薬をガッと飲むだけ。 ワタシは薬物から入るたちらしい。 昔はキョーレオピンというニンニクエキスの液体を カプセルに入れて5.6粒一気に飲んでいた。 で今回は,年も年だし刺激も弱そうなQPGという錠剤のお世話になった。 ただこの薬は即効性がないのか通常の倍量飲んでも本番が終わった頃に効いてくるのだ。 そう,トップ効果は宴会の時間にやってくるのである。 ご推察の通りの状態になります。 前回楽日は若手のKくんを飲ませるという名目で昼までコースだったが 今回は初日から連日昼までコースの勢いだった。 金・土ようと徐々に調子を上げ,日曜日ははなから快調に飛ばし始める。 さすがに朝7時を回るとトップスピードはがくんと落ちるが そこからだらだらと惰性運転で酩酊走行が始まる。 今回もKくんはつきあってくれたが, 昼過ぎ頃のメンバーがどうなっていたかさらさら記憶にない。 確か井内くんはいつものようにサポートしていてくれたはずだが・・・・・。
というわけで体調のピークを 本番後に持ってきてしまった第二ラウンドでありました。
今回,ヨメさんと子供も同行し公演中は大宮の姉の家で子供を預かってもらって ヨメさんだけ観劇したが, そんなわけで,芝居でのワタシの評価をヨメさんに聞くのはちょっと控えている。
さぁ,ラスト週間が今週末にやってくる。 ワタシの体調もそのころには万全に戻っているだろう。 悔いのない酒を飲む為にも,がんばろっと。
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